こんにちは、梅澤です。
「将棋めし」の6巻、
さっそく読みました。
2016年にはじまった「将棋めし」は
これが最終巻。
きれいに完結してよかった!
という思いと、
終わってしまって残念という思いがあって
複雑な心境です。
6巻もすごくおもしろかったので、
感想をまとめました。
ネタバレがあるので
注意してください。
冒頭のイラストは
マンガをお手本に自分で描きました。
なゆたは毎回、
本当においしそうに食べますね。
「将棋めし」の第6巻
「将棋めし」の第6巻はこちらです↓
本巻ははじめから終わりまで
まるごとを使って、
玉座戦が第3局から最終第5局まで
描かれています。
玉座のタイトルを保持するなゆたが
兄弟子の杜谷の挑戦を受ける五番勝負。
4巻と5巻で第1局と第2局が
描かれていたのと合わせると、
玉座戦の対局は
全局がていねいに取り上げられました。
「将棋めし」という作品において
なゆたと杜谷の対決というのは
それだけ重要なテーマだと
いうことなのでしょう。
作品中では他にも
宝山vsなゆた の玉座戦、
杜谷vs黒瀬 の龍王戦、
白河vs大河 の玉位戦、
といったタイトル戦がありましたが、
いずれも決着局が1局
取り上げられただけ。
なゆたvs杜谷の玉座戦の扱いの重さが
きわだっています。
「将棋めし」の物語は、
第1話でなゆたが宝山から
玉座のタイトルを奪取するところから
はじまりました。
そして、これはネタバレですが、
最終話ではなゆたが杜谷に勝って
タイトルを防衛して物語が終わると。
「将棋めし」は
ちょうど1年間の物語ということで、
うまくまとまりましたね。
なゆたの三間飛車と乗り越えたい過去
今回の玉座戦は、
なゆたにとって初めての
タイトル防衛戦です。
「タイトルは防衛して一人前」
というのは将棋界でよく言われることであり、
大きなプレッシャーがかかるものです。
でも、なゆたの姿を見ていると
あまりプレッシャーを感じさせません。
第1局の直後こそ
大きく崩れたものの、
その後は他の対局とそれほど変わらず
落ち着いています。
私は6巻を読むにあたって
1〜5巻を読み返してみたのですが、
なゆたは「絶対に勝ちたい!」
という勝負師的な気合いが
それほど強くない気がしました。
その点、たとえば黒瀬だったら
「あいつより上の立場になる!そのために勝つ!」
という感じで気合いの出どころが
わかりやすいのですが、
なゆたは人と比べてどうこうというのは
あまり考えていないようです。
女性の棋士として
「女の代表としてがんばる!
女だから将棋が弱いなんてことはないと証明してみせる!」
という様子もないです。
まあ「なんのために戦うのか」ということに
明確な目的がないというのは
棋士にとって珍しいことではないですし、
なゆたのようなスタンスは
別におかしくないと思います。
ただ、この玉座戦に関しては
杜谷が挑戦者になったことによって
なゆたにとって「勝ちたい理由」ができた
ように感じられました。
その勝ちたい理由とは何か。
それは、
「昔の弱かった自分とは違うことを証明する」
ということです。
杜谷に最初の飛車落ちの一局で
ボコボコにされて、
それ以来、一度も対局してもらえなかった。
その記憶はなゆたにとって、
忘れようと思っても忘れられない
トラウマのようなものです。
だから、なゆたにとって
杜谷と戦うということはは
「過去の自分、過去の記憶と戦う」
ということだと言えます。
それで、
これは最初に連載で読んだときは
気づかなかったのですが、
なゆたが最終局の指し直し局で
「初手7八飛」から三間飛車を指したのも
大きな意味があります。
杜谷とたった一局だけ指した将棋も
なゆたの三間飛車であり、
あのときと同じ作戦をあえてぶつけた
わけです。
そして三間飛車は
三間(さんま)ということで、
魚のサンマとの言葉遊びになっています。
最終局の指し直し局では、
対局相手の杜谷も
なゆたが三間飛車を指してきたことの意味に
すぐに気づいたよう。
だからこそ杜谷には
なゆたと初めて指したときの
小学生のときの姿が見えたし、
さらにそのバックにはサンマも見えた
わけですね。
なゆたの方も
あの対局の直前に食べたサンマを
思い出しているようで、
夕食の注文時には
「さすがに秋刀魚(さんま)はないよな」
などと考えています。
二人の思考は完全にシンクロしているのですが、
この三間飛車とサンマの因縁は
なゆたと杜谷にしかわからないこと。
周囲の人が
「宝山先生じゃあるまいし、この大一番になぜ!?」
と三間飛車の採用に困惑しているのとは
対照的で面白いです。
でも、そんなに三間飛車に
こだわりがあるのなら、
もっと早く指せばよかったのでは?
とも思います。
そもそも最終局が千日手になったから
指し直し局が偶然生じただけで、
もし千日手がなければ
三間飛車を指すことがないまま
玉座戦は終了していたはずなのです。
実はこの理由も
きちんと考えながら読むと
わかるようになっていて、
この作品の奥深さを感じました。
なぜ、なゆたが
この最後のギリギリになってようやく
あのときの三間飛車を指す気になったかというと、
杜谷の「はじめて見る顔」を見たからです。
優勢だった将棋を千日手に持ち込まれたとき、
杜谷は歯を食いしばって
悔しそうで怖い表情をしました。
第2局と第4局で負かされたときでさえ
杜谷は淡々とした表情だったのに、
はじめて感情を見せた。
それによって、なゆたは
「やっとはじめて
振り向いてもらえたような気がしてる」
と感じました。
そして、いままでずっと
杜谷に対して引け目を感じていたのが、
ようやく最初に対局する前の
まっさな状態に戻れて、
あのときの三間飛車のことを
思い出したのでしょう。
ちなみに振り飛車党でもないなゆたが
どうして杜谷との最初の対局のときに
三間飛車を選んだのか、
その理由は明らかにされていません。
ですが、なゆたが食事の注文のときに
サンマのことを考えていたことから、
なゆたの頭の中では「三間=サンマ」
である可能性が高そうです。
これは4巻での最初の対局時に杜谷が
「…いや さすがそれはないか」
と考えていたこと。
はじめてプロ棋士の兄弟子と指すときに
シャレで戦法を選ぶとは、
小学生のときのなゆたは
相当にふてぶてしかったようです。
杜谷に勝ったことで、なゆたは
「過去の弱かった自分、過去のトラウマ」
を乗り越えたという形になりました。
これからは杜谷と、
対等に近い関係を築いていけるのでしょう。
なゆたの存在を認めた杜谷
杜谷にとっても、
なゆたとの最初の一局は
大きな意味を持っていたようです。
本巻で明らかになったのは、
4巻でなゆたがなにげなく言っていた
「それでも私は
将棋しかうまくできないから」
という一言が、
杜谷の頭にずっと残っていたということ。
「将棋しかうまくできない」
というのは、
杜谷自身が母親に言った言葉
でもあったんですね。
杜谷の過去を聞き出したのは白河名人。
白河が杜谷を尋問するかのような会話が
えんえんとつづく回は、
「将棋めし」の中では異色の雰囲気です。
おかげで杜谷の家庭事情が
少しわかったのですが、
それは杜谷にとっては苦々しい
忘れようとしていた過去
ばかりだったはず。
白河は杜谷に
「自分と同じことを言ったから
這いあがってこいと突き放したんだろう?」
と言いましたが、
おそらくこれは当たっているのでしょう。
つまり、杜谷は
小学生のなゆたに自分の少年時の姿を重ねていた
のです。
そして、そのイメージは
なゆたがタイトルを保持するまでになっても
変わりませんでした。
杜谷とって、
少年のころの記憶は
辛くて思い出したくないもののようです。
そのことが、
なゆたと将棋を指そうとしなかった理由
なのだと思われます。
玉座戦において、
なゆたも杜谷も対戦相手に
「過去の自分」を重ねていました。
その点は同じなのですが、
違うところもあります。
それは何かというと、
「過去の自分」をどうすれば乗り越えられるか
ということです。
なゆたからすると、
杜谷に勝つことで
弱かった自分を乗り越えられた
ことになります。
では杜谷の方はどうかというと、
じつは勝敗は関係ありません。
過去の自分を乗り越えるには、
「その存在を認めて、向き合う」
ことをすればいいのです。
そしてそれは、
千日手局によって
なゆたに悔しい思いをさせられ、
さらにそんな自分を認めて
指し直し局を本気で戦ったことで
達成されました。
杜谷はおみくじで大吉だったにもかかわらず
将棋では負けてしまったのですが、
長年にわたって目を背けてきた
「過去の自分」を乗り越えられたこと
こそが杜谷にとって幸運だったのかなと思いました。
そんなことを考えると、
終局後に杜谷が笑顔を見せたことにも
納得です。
杜谷はなゆたのことを認めることによって、
自らの過去にケリをつけたのでしょう。
常磐ホテルには行ったことがある
玉座戦第5局の対局場となった
山梨県甲府市の「常盤ホテル」。
私は現地に行ったことがあります。
2017年6月6日、
佐藤天彦名人と稲葉陽八段の
名人戦第6局が行われて、
佐藤名人が防衛して決着。
私はそれを大盤解説会で
見届けました。
なので、
「将棋めし」で描かれている風景をみて
「この場所は行ったことがある!」
とテンションが上がりました。
「常盤ホテル」は
立派なお庭が有名で、
そこにある離れで対局が行われます。
私が撮影したお庭の写真↓
この庭は正面玄関の側からは見えなくて、
建物の中に入ると
いきなり巨大な庭が視界に現れてびっくりします。
あの場所で玉座戦が行われているんだなと思うと、
マンガの中の対局に
臨場感が感じられました。
最近は新型コロナウイルスの影響で
名人戦と叡王戦のタイトル戦が
延期されている状況。
これまでは日常の一部と感じていた
ネット生中継や大盤解説会の様子を
「将棋めし」の中で見て、
なんだか遠い昔のような気がしてしまいました。
かつての日常が早く戻るといいですね。
完結はよかったけれど、づづきが読みたかった
「将棋めし」は
ストーリーのキリのいいところで
きれいに完結しました。
6巻までつづいたというのは
将棋マンガとしては長いほうで、
すばらしいことです。
藤井聡太さんをきっかけとした将棋ブームと
グルメマンガブームの両方に乗っかって、
うまくタイミングをつかんだ作品
だと思いました。
ただ、さらに欲を言えば、
もっとつづきを読みかったですね。
各キャラクターがいい感じに
深堀りされてきて、
「これからもっとおもしろくなるぞ!」
というところだったので、
そこがもったいないです。
最終話の最後にちらっと登場する
白河vs杜谷の名人戦と
黒瀬vs宝山の対局なんかは、
「どちらもじっくり見せて!」という感じ。
巻末にある
監修の広瀬章人八段の解説を読んでも、
「最終巻になってしまいました」
「物語はここで終わってしまいますが」
という表現から、
広瀬八段も未練がある心境
であることがうかがえます。
とは言え、
あんまり欲ばってもしかたないですね。
「将棋めし」が終わっても
この作品を通して得た
「棋士の食事を見る視点」は消えないので、
これからもリアル世界の対局中継を見ながら
将棋めしを楽しんでいきます。
まとめ
・なゆたは玉座戦の決着局に杜谷との最初の一局を重ね、三間飛車を指した
・なゆたは杜谷に勝って、「弱かった過去の自分」を乗り越えた
・杜谷はなゆたの存在を認めることで、自らの過去にケリをつけた
・キリのいい完結はめでたい一方で、もっとつづきが読みたかった
「将棋めし」は
食事、将棋、人間ドラマを
絶妙なバランスで融合させた、
すばらしい作品でした。
作者の松本渚さんの
次回作も楽しみです。
「将棋めし」については
こちらの記事もどうぞ↓
松本渚さんの「盤上の罪と罰」の
感想も書いています↓