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豊島将之二冠の初タイトル獲得までの苦悩と関西若手のライバル達

 
豊島将之二冠と関西若手棋士
この記事を書いている人 - WRITER -
梅澤 浩太郎
将棋講師。棋力はアマ四段。 インターネット上で将棋を教われるサイト、将棋マッチを開設・運営しています。 1987年12月生まれ。群馬県在住。 このブログでは自分でイラストを描きつつ情報発信中。叡王戦を支援しています。 将棋を始めたころからずっと、一番好きな棋士は藤井猛九段。 海外旅行が好きで旅行記も書いています。

豊島将之二冠と関西若手棋士

豊島将之二冠は2018年に
初タイトルの「棋聖」を獲得。

その約2ヵ月後に「王位」を獲得して、
将棋界唯一の複数冠保持者となりました。

豊島二冠は一気に棋界の頂点と言える
立場になったわけですが、
そこに至るまでの道のりは長かったです。

 

初めてタイトルに挑戦したのが2011年で、
その後4連続でタイトルに挑戦に失敗

その間に他の関西若手棋士が
タイトル獲得などの活躍をするのを見て、
豊島二冠としては焦りや苦悩が
あったことでしょう。

豊島二冠が初タイトルを獲得するまでの流れを、
関西若手のライバル達の活躍に注目して
まとめました。

活躍が期待される関西若手棋士

関西には有望な若手棋士がたくさんいます。

代表的な棋士の生年月日を
年齢順に並べると以下の通りです。

稲葉陽:1988年8月8日(30歳)
糸谷哲郎:1988年10月5日(30歳)
豊島将之:1990年4月30日(28歳)
菅井竜也:1992年4月17日(26歳)
斎藤慎太郎:1993年4月21日(25歳)
千田翔太:1994年4月10日(24歳)
(年齢は2019年1月時点)

 

関西に所属する棋士は
東京の棋士の3分の1程度と
少ないこともあって、
家族的な雰囲気があるのが特徴。

東京よりも若手棋士どうしが意識し合い、
お互いに高めあっていく環境
があるようです。

そうした環境は豊島二冠にとっても
実力を高めるのに適していましたが、
タイトル戦で連続して敗退していた時期には
周囲との関係が悩ましかったように見えます。

豊島二冠があと一歩のところで
タイトルを獲得できない間に、
他の関西若手棋士が追いついてきて、
先にタイトルを獲っていった
からです。

その流れを追ってみます。

 

話はそれますが、
今回棋士の生年月日を並べてみて、
4月生まれが多くてびっくり。

上に挙げた6人中4人が
4月生まれです。

自分の予想では、
学校の学年が生まれた月の
4月〜3月で区切られることと
関係がありそうです。

関西若手の中で飛び抜けていた豊島さん

豊島さんのプロデビューは
2007年4月1日で16歳のとき。

そして初めてタイトルに挑戦したのは
2011年1月からの王将戦。

当時はまだ20歳の若さです。

2勝4敗で久保利明王将に敗れて
タイトル奪取はならなかったものの、
関西若手棋士の中で
圧倒的な存在感を示しました。

このころには「関西若手四天王」という
呼び名も使われていましたが、
「その4棋士の中でも
将来確実にタイトルを獲るのは豊島」

などとも棋士の間では言われていました。

それだけ豊島さんの評価は
別格の扱いだったのです。

「関西若手四天王」については
こちらの記事に書いています↓

 

その後も豊島さんは
タイトル挑戦を重ねますが、
4連続で敗退してしまいます。

結果をまとめると以下の通りです。

2011年 vs久保利明王将 2勝4敗
2014年 vs羽生善治王座 2勝3敗
2015年 vs羽生善治棋聖 1勝3敗
2018年 vs久保利明王将 2勝4敗

 

また、2013年には豊島さんはB級1組に昇級

関西若手棋士の中でB級1組に一番乗りで、
順位戦でも豊島さんは圧倒的でした。

 

タイトルへの挑戦と順位戦での昇級で、
関西若手棋士の中のエースとして
周囲から認められていた豊島さん。

それでも初タイトルにはなかなか手が届かず
もどかしい思いがあったことでしょう。

そんな中で、
関西若手棋士の中から
豊島さんを追い抜く棋士達が
現われ始めます。

糸谷哲郎竜王の誕生

2014年9月4日、
豊島さんにとっての二度目のタイトル戦である
王座戦が開幕。

その4日後の9月8日。

糸谷哲郎さんが竜王のタイトル挑戦を決めました。

関西若手棋士の中では、
豊島さんに続くタイトル挑戦
です。

 

そして、
王座戦はフルセットまでもつれましたが、
10月23日に豊島さんが羽生善治王座に敗退。

一方、糸谷さんは12月4日に
森内俊之竜王に勝利し、
4勝1敗で竜王のタイトルを奪取しました。

タイトル初挑戦の糸谷さんが
いきなり棋界最高位の「竜王」を獲得したことに、
当時は多くの人が驚きました。

糸谷さんが豊島さんよりも先に
タイトルを獲る
とは、
ほとんどの人が予想していなかったでしょう。

 

豊島さんにしてみれば、
糸谷さんよりも先に2回もタイトルに挑戦して
自分は失敗していたのに、
後から挑戦した糸谷さんが
1回であっさりタイトルを獲得して、
かなり悔しかっただろうと思います。

それまでは豊島さんとしても
関西若手棋士の先頭を走っている
自覚があったでしょうが、
それが崩れてしまいました。

稲葉陽八段にA級に先を越される

糸谷竜王の誕生の約2ヵ月後。

稲葉陽さんがB級1組への昇級を決めました。

順位戦では関西若手棋士の中で
豊島さんが唯一のB級1組でしたが、
そこに並んだ
わけです。

 

2015年度の順位戦では
稲葉さんは豊島さんにも勝ち、
連続昇級でA級昇級を決めました。

一方の豊島さんは残留となり、
4年連続でB級1組で戦うことが決まりました。

A級への昇級を3度逃した豊島さんを、
風のように追い抜いていったわけです。

この状況は糸谷さんが初挑戦で
竜王を獲得したときに似ています。

このときも豊島さんは、
「立ち止まったまま進めない自分と
どんどん進んでいくライバル」

という区別が頭に浮かんだことでしょう。

 

豊島さんは稲葉さんに先に行かれた悔しさを
バネにしたのかもしれません。

翌年には稲葉八段の後を追うようにして、
豊島さんもA級に昇級しています。

千田翔太、斎藤慎太郎、菅井竜也の台頭

糸谷さんと稲葉さんは「関西若手四天王」と
呼ばれていたときから競い合う相手だったので、
豊島さんにとっても「同世代のライバル」
とらえていたでしょう。

だからタイトル獲得やA級昇級で追い抜かれても、
それほどショックではなかったかもしれません。

ですが、しだいに自分よりも
若い世代の関西棋士が台頭してきました。

 

豊島さんよりも若い棋士たちの活躍が、
タイトル挑戦という
目に見える形で一気に表れたのが2017年。

この年は、年の始めから
関西の若手棋士のタイトル挑戦が続きました。

以下の通りです。

棋王戦:千田翔太(渡辺明棋王に敗退)
名人戦:稲葉陽(佐藤天彦名人に敗退)
棋聖戦:斎藤慎太郎(羽生善治棋聖に敗退)
王位戦:菅井竜也(羽生善治王位に勝利)

 

関西若手棋士が4連続で
タイトル挑戦者になった
ということで、
当時は話題になりました。

千田翔太さん、斎藤慎太郎さん、菅井竜也さん
いずれも豊島さんよりも若い棋士です。

豊島さんがタイトル挑戦に
3度失敗しているうちに、
さらに若い関西棋士が
タイトルに挑戦するようになってきたのです。

そして、千田さんと斎藤さん、
そして同世代の稲葉さんは
タイトル戦で敗退しましたが、
菅井さんは羽生さんに勝って、
王位のタイトルを獲得
しました。

 

糸谷さんに続いて、
またしても豊島さんを差し置いて
関西若手のタイトルホルダーが誕生
したのです。

自分よりも若い菅井さんにまで
タイトルで先を越されて、
これには豊島さんとしても
精神的にかなりキツイものがあったと思われます。

さらに続く豊島さんが報われない時期

菅井王位が誕生した直後に行われた王将リーグで、
豊島さんは優勝。

4度目となるタイトル挑戦を決めました。

そして、2018年1月に王将戦を戦っている最中には
A級順位戦でもトップに立っており、
名人挑戦が自力で狙える状況でした。

つまり、いきなりタイトル二冠になる
チャンスもあったのです。

 

しかし、順位戦では最終盤に2連敗してしまい、
名人挑戦はプレーオフで決めることに。

これが歴史に残る「6人によるプレーオフ」です。

名人挑戦まであと一歩だったはずの豊島さんは
A級初参加で順位が低かったため、
変則トーナメントの最下位からスタート。

5連勝しないと挑戦権を得られないという、
可能性がかなり低い戦いを強いられることに。

ちなみに順位が最上位の稲葉八段は
1勝するだけで名人に挑戦できるという、
順位差がとても大きいトーナメントでした。

 

2018年3月は王将戦とA級プレーオフが
同時に進行し、
豊島さんは鬼のような過密日程の中で
対局をこなしていきました。

ほぼ毎日が対局日か移動日です。

結果としては、
まず王将戦は久保利明王将に2勝4敗で破れ、
4連続のタイトル戦敗退

さらに、プレーオフでは
3連勝したところで羽生竜王に破れ、
名人挑戦はならず

ちなみに、このときのプレーオフでは
その羽生竜王が次局も勝って、
名人に挑戦することになります。

 

このように、豊島さんは
一気に二冠の可能性もあったところ、
結局タイトルは穫れずに終わりました。

タイトルまであと一歩が遠いです。

ついに初タイトルの「棋聖」を獲得

王将戦とA級プレーオフで敗退してから
約3ヵ月後の6月6日。

休む間もほとんどないうちに、
また豊島さんのタイトル戦が始まりました。

羽生さんが佐藤天彦名人に挑戦しながら、
同時並行で防衛戦を戦った棋聖戦。

豊島さんにとって、これが5度目のタイトル戦です。

 

棋聖戦の開幕の2日前に
王位戦の挑戦者決定戦が行われ、
豊島さんは羽生さんを破って
菅井竜也王位への挑戦を決めていました。

タイトル戦直前に羽生棋聖に勝ったことで、
勢いが出て良い影響があったことでしょう。

この棋聖戦で羽生棋聖を
3勝2敗のフルセットで破り、
ついに初タイトルの「棋聖」を獲得しました。

初めてのタイトル挑戦から約7年。

5度目の挑戦にして、
ようやく結果を出すことができたのです。

 

「棋聖」獲得直後の記者会見は感動的で、
以下のような受け答えがありました。

 

―――タイトルを取れるか不安になったといいう話もありました。心が折れかけたこともあったかと思いますが、ここまで棋力を挙げてこられた原動力は何でしょうか。

豊島「子どものころから好きで始めた将棋なので、純粋に楽しいということがあります。でも、そう思えない時期もありましたが、周りの方や応援してくださる方がいて、頑張ろうと思っている自分がありました」

―――つらかったというのは、いつごろのことでしょうか。

豊島「そうですね、25歳あたりからいままでくらいですかね」

 

25歳あたりというと、
糸谷竜王誕生の翌年に棋聖に挑戦し、
3度目のタイトル挑戦に失敗したころ

最初の挑戦であっさりタイトルを獲る
関西若手棋士がいる中で、
何度挑戦してもタイトルが穫れない。

そんな状況に苦しんでいた
豊島さんの心境が察せられます。

 

記者会見の記事の全文はこちらで読めます↓

「王位」を奪取し「豊島将之二冠」の誕生

棋聖戦と並行して行われた王位戦。

関西若手棋士の中で
自分よりも先にタイトルを獲得した菅井竜也王位との
直接対決となりました。

 

そして、棋聖獲得の約2か月後となる2018年9月27日。

菅井王位を4勝3敗のフルセットで破り、
2つ目のタイトルである王位を獲得
しました。

豊島棋聖が誕生したときに
将棋界では複数冠保持者がいなくなり、
「戦国時代」とも呼ばれましたが、
それを自らの手で終わらせました。

豊島二冠が唯一の複数冠保持者となり、
一気に将棋界の頂点と言える立場
となったのです。

 

豊島二冠が誕生した直後の王座戦では
斎藤慎太郎さんが中村太地王座を破り、
初タイトルの「王座」を獲得しました。

長らく関西若手棋士のエースとして期待されてきた
豊島二冠がついに大きな結果を出したことで、
周囲が良い影響を受けて、
好循環が生まれているように見えます。

まとめ

豊島さんがついにタイトルを獲得するまでの流れと、
その間の関西若手棋士達の活躍について書きました。

関西若手棋士はお互いに影響を与え合い、
高め合ってきました。

その中でも豊島将之二冠の存在は特別です。

タイトルまであと一歩が届かない苦悩の時代を経て、
豊島さんが一気に二冠となった姿を見るのは
ファンとして感慨深いものがあります。

そして豊島二冠だけでなく、
他の関西若手棋士も
大きな実績を残してきています。

これまでの流れを踏まえつつ、
今後の関西若手棋士の活躍ぶりに注目です。

 

 

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