昨日の棋聖戦第1局は大熱戦のすえ、
藤井聡太七段の勝利。
私は手に汗をにぎりながら
観戦しました。
今期の棋聖戦は
藤井七段の初タイトル戦であり、
最年少タイトルの期待も
かかっているということもあって、
藤井七段を応援している人が
多いことでしょう。
私もそうです。
ですが、昨日の将棋ではむしろ、
私は渡辺棋聖の最終盤の指し手に
心を動かされました。
迫力のある
最後の王手ラッシュ(連続して王手をかけること)と
美しい投了図をつくる形作り。
ここに渡辺棋聖の「美学」
を感じたのです。
対局後の発言から
両対局者が何を考えていたのかを推測しつつ、
この将棋の最終盤の何がすごいのかを
お伝えします。
これを読めば、
棋聖戦第1局がどんな将棋だったのか
見方がガラッと変わるはずです。
ちなみに冒頭のイラストは自分で描きました。
王手ラッシュをかけた渡辺明棋聖の心境
終盤で藤井七段が「2二銀」と
渡辺玉に詰めろをかけた局面。
この局面では、
「受ける」か「王手ラッシュにいく」か
2つの選択肢がありました。
しかし、渡辺棋聖の残り時間は
わずかに3分。
渡辺棋聖はこのときの心境を
自身のブログに書いていますが、
どちらの手もその先の展開は
読み切れてはいなかったようです。
それでも
「藤井玉に詰みあり」とみて、
王手ラッシュの方を選びました。
私が考えても、
詰みがありそうな局面に見えます。
なにしろ渡辺棋聖は
大駒4枚をぜんぶ持っている
のです。
攻め駒もいい位置にセットされていますし、
王手をかけていけばなんとかなりそう。
そこで渡辺棋聖は
「7九角」という強烈な捨て駒から
王手ラッシュを始めていきました。
藤井聡太七段も読み切れていなかった
対して藤井七段としても、
「2二銀」と詰めろをかけた局面で
渡辺棋聖が王手ラッシュにくることは
予想していたでしょう。
王手ラッシュによって
そのまま自玉が詰んでしまえば
負けとなるわけですから、
ものすごく怖い局面です。
このときの心境を
藤井七段は終局後の会見で
語っていました。
それによると、
藤井七段は自玉が詰まないことを
読み切っていたわけではなかった
そうです。
持ち時間が残り2分しかない状況では
無理もありません。
つまり、「2二銀」としたときには、
「もしかしたら自玉が詰んで負けるかも。
でも、そのときはそのときでしょうがない!」
という心境だったわけです。
藤井七段は詰将棋の力が
とんでもなく高いですから、
「自玉はたぶん詰まない…かな」
という見通しはあったことでしょう。
とはいえ
はっきりとした結論はわからないまま。
両対局者ともに
結末が見えていないなかで、
渡辺棋聖の王手ラッシュは始まったのです。
「詰むや詰まざるや」きわどい王手ラッシュ
渡辺棋聖は「7九角」から、
なんと16手連続で王手
をつづけました。
「竜」「馬」「飛車」
という3枚の大駒が
盤面を支配するなかで、
ものすごい迫力。
王手をどう防ぐかを間違えれば
すぐに詰んでしまう、
きわどい局面がつづきました。
それでも、
指し進めるうちに
結論が見えてきました。
藤井七段の玉に詰みはなかった
のです。
藤井七段の玉が詰む手順が
たくさんある一方で、
1つしかない正解を選びつづければ
藤井七段の玉は詰まないように
なっていました。
その正解の手を
淡々と積み重ねていく藤井七段。
超難問に1分以内に
答えを出しつづけていったのわけで、、
本当にすごいことです。
そして、藤井玉が
「7五玉」と逃げ出した局面では、
ようやく私にも
藤井七段の玉に詰みがないことが
理解できました。
このあたりまで進めば、
渡辺棋聖も藤井七段も
詰みがないことははっきりと読み切れた
はずです。
渡辺明棋聖の美学を感じた「形作り」
藤井玉に詰みがないとなれば、
渡辺棋聖としては勝ち目はありません。
渡辺棋聖としても
それはわかっていたでしょう。
それでも渡辺棋聖は
王手をかけることをやめませんでした。
なぜ投了しないのかと
私は不思議でした。
ここまでくれば
藤井七段がミスをするとは
思っていないでしょうし、
対局中の雰囲気を見ても
渡辺棋聖は逆転を狙っている様子では
ありませんでした。
実は、渡辺棋聖には
ある狙いがあったのです。
藤井七段の玉が
「4四玉」と逃げたところで
私にも渡辺棋聖の考えがわかりました。
渡辺棋聖は
美しい投了図をつくるために
「形作り」をしていた
のです。
そして、藤井七段が
「3四玉」としたことで、
渡辺棋聖が思い描いていた
局面になりました。
「1四竜」という王手に対して
「2四桂」と合駒をした手が
なんと逆王手!
逆王手というのは、
自玉への王手を防ぐために指した手が
相手玉への王手になる手
のこと。
逆王手の一手は
攻める側と受ける側を
いきなりひっくり返す力があり、
実戦で現れるのは珍しい手です。
そんな逆王手によって
一局が締めくくられるとすれば、
それは「美しい」と多くの人が感じます。
この「2四桂」を見た渡辺棋聖は
すぐに投了しました。
この投了図を
渡辺棋聖が狙っていたことは、
その様子から明らかでした。
美しい投了図はこちらで見られます↓
渡辺棋聖は王手ラッシュをはじめたときは
あくまでも勝利を求めていたはず。
でも、王手をつづけるうちに
藤井玉が詰まないことが
わかってしまいました。
そこで途中から、
渡辺棋聖は王手をつづける理由を
「勝つ」ことから
「美しい投了図をつくる」ことに切り替えた
のです。
このことに、
「負けるとしてもどう負けるかを考える」
という渡辺棋聖の「美学」を感じます。
以前に何かのインタビューで渡辺棋聖が
「投了図は新聞や雑誌に掲載されるので、
自分が投了するときには
どの局面を投了図にするかを考える」
と語っていたのを読んだのですが、
本局ではまさにそれが実践されていました。
そして、
そうして美しい投了図を作ることも含めて
そのタイトルの品位や価値を高めることが
タイトルホルダーとしての「つとめ」である
と渡辺棋聖は考えているのではないか。
そう私は感じました。
「形作り」については
こちらの記事に詳しく書いているので
合わせてどうぞ↓
藤井聡太七段の側から見た「逆王手」
藤井七段の側から見ると、
渡辺棋聖の王手ラッシュがはじまったときは
本当に怖かったはずです。
そのまま負けるかもしれず、
「生きるか死ぬか」
のギリギリの戦いだったのです。
でも、指し進めるうちに
自玉が詰まないことがはっきりしてきた。
渡辺棋聖の方も
大逆転勝ちを狙っている雰囲気ではない。
そこで藤井七段としても、
「渡辺棋聖は美しい投了図を作ろうとしている」
ということに気づいたはずです。
このまま進めれば
「逆王手」が生じることも
藤井七段には見えていたでしょうから、
「もしかしたらその局面を投了図にするつもりなのかも」
とも考えたのではないでしょうか。
そして本当に「2四桂」の局面は
盤上に現れ、
そこで渡辺棋聖は投了した。
このことに、
藤井七段も渡辺棋聖の美学や
タイトルホルダーとしての覚悟を感じた
だろうと思います。
私も将棋を指すのでわかりますが、
「2四桂」という逆王手は
指す側にとっては
ものすごく気持ちのいい手
です。
相手の攻めを無効にして
逆に反撃を決めて、
「してやったり」という感じです。
逆にその手を指された側は、
悔しい思いをすることになります。
にもかかわらず、
渡辺棋聖はもっと前に
投了することもできたのに、
あえて逆王手をかけさせた。
これはつまり、
自分の悔しさよりも
美しい投了図をつくることを優先した
ということです。
この姿勢は、
まず間違いなく藤井七段にも
伝わったことでしょう。
だから、最終手の「2四桂」を
指すときに藤井七段が感じたのは、
ふつうなら感じる気持ちよさではなく、
渡辺棋聖への尊敬の気持ち
だったのではないでしょうか。
これらはもちろん
私の単なる推測にすぎないのですが、
たぶん当たっていると思います。
逆王手のあたりの数手は
もはや勝敗には関係しない部分なので、
終局後にも両対局者が
発言することはありませんでした。
でも、何も言わなくても、
私には伝わってくるものがあったのです。
まとめ
・最終盤で渡辺明棋聖が王手ラッシュをかけたが、
両対局者ともに読み切れていなかった
・渡辺棋聖は最後に「美しい投了図」を作ろうとした
・藤井七段にもその思いは伝わった
最終盤での両対局者の心境について、
私の予想を中心に書きました。
こうした視点で
棋聖戦第1局を見ると、
対局の内容や勝敗とは違う、
両対局者の心の動きや精神の交流が
感じられないでしょうか。
つい熱く語ってしまいましたが、
少しでも伝わればうれしいです。