「なぜ将棋では、女性がプロ棋士になれないんですか?」
こんな質問を最近も受けました。べつに女性が差別されているわけではないし、男女でそれほど能力差があるとも思えないのに、不思議な感じがしますよね。
私は将棋歴20年で、将棋アマ四段です。「なぜ将棋界には女性のプロ棋士がいないのか」にはずっと興味があって、将棋関係の書籍や雑誌、マンガを読んだり、映画やドラマ、アニメを観たりしつつ考えてきました。
そして、私なりの結論を出しました。その結論とは「女流棋士になる選択肢があるせいで、女性はプロ棋士になれない」です。
なぜその結論が正しいと言えるのか、わかりやすく解説します。さらに他の「女性が将棋のプロ棋士になれない理由」も思いつく限り挙げて、その理屈も説明しました。
この記事を読めば、なぜ将棋には女性のプロ棋士が一人もいないのか、私の意見がわかります。それだけでなく、あなた自身で理由を考えるための材料がそろうでしょう。ぜひ最後までお読みください。
基礎知識:将棋の「プロ棋士」と「女流棋士」の違い
男性のプロ棋士と女流棋士は何が違うの?
女流棋士だって、お金をもらっているならプロなのでは?
こうした疑問を持つ人もいるでしょうから、本題に入る前に、ざっくりと基礎知識を説明しておきます。女流棋士はお金をもらって将棋を指しているので「プロ」ではあるのですが、プロ棋士とは呼びません。
将棋界では「プロ棋士」と「女流棋士」は、まったく別の制度です。プロ棋士と女流棋士では、将棋の強さのレベルに大きな違いがあります。プロ棋士になるのは、女流棋士になるよりもはるかに難しいのです。
- プロ棋士:奨励会で「三段リーグ」を勝ち抜いて四段になる(原則として年間4人のみ)
- 女流棋士:研修会でB1クラスになる(2024年4月にB2→B1と変更された)
研修会のB1クラスは、奨励会の6級と同じくらいの強さです。女流棋士になれるほどの実力を持つ人でも、奨励会ではやっとスタートラインに立てる程度の存在でしかありません。
プロ養成機関である「奨励会」では、奨励会員どうしの対局で良い成績を収めることで、以下のように三段まで昇級・昇段を重ねられます。なお奨励会では、性別によって扱いが変わることはありません。
【奨励会を順調に昇級する過程】
- 6級
- 5級
- 4級
- 3級
- 2級
- 1級
- 初段
- 二段
- 三段
三段に到達した奨励会員は「三段リーグ」に参加します。
30〜40人程度の三段が半年間かけてリーグ戦を戦い、成績上位2名が三段リーグを抜けて四段になれるのです。
こうした過程を経て四段になった人が、一般に「プロ棋士」あるいは単に「棋士」と呼ばれます。大事なのは以下の2点です。
- 「プロ棋士」と「女流棋士」はまったくの別物
- 女性でプロ棋士になった人は歴史上で一人もいない
女性が差別を受けているわけではありません。単純に三段リーグを勝ち抜けられないから、女性のプロ棋士がいないだけなのです。
結論:女流棋士になる選択肢があるからプロ棋士になれない【3つの理由】
「女流棋士になるという選択肢の存在」が、将棋の女性のプロ棋士が生まれない最大の理由だと、私は考えています。この意見は、他ではあまり見かけません。
基礎知識が必要なうえ、人に説明して理解してもらうのが大変なので、語る人が少ないのでしょう。私は今回、わかりやすく解説することに挑戦します。
私が考える理由を、以下の3つに整理しました。
- 「逃げ場」がある
- 選択肢が負担になる
- 男性奨励会員に負い目を感じる
順に詳しく解説します。
1. 「逃げ場」がある
プロ棋士を目指している女性の奨励会員にとって、女流棋士は「逃げ場」になります。
この意味を理解するには、奨励会の年齢制限のことを知っておく必要があります。奨励会員は原則として、26歳までにプロ棋士にならなければいけません。プロ棋士になれないまま26歳になれば、奨励会を強制的に退会となり、棋士になる夢を絶たれてしまうのです。
年齢制限は将棋界に独特の制度で、とても残酷です。私は奨励会の経験がなくて説得力がないので、年齢制限で奨励会を退会となった瀬川晶司さんの著書「泣き虫しょったんの奇跡」から引用します。
三段になった者はみな、すでに膨大な時間を将棋だけに捧げている。
いまさら後戻りはできない。
四段になれないことは、それまでの自分がゼロになることを意味する。
挫折などというなまやさしいものではないのだ。
(中略)
すぐ後ろに迫る恐怖から逃れることで精一杯なのだ。
三段リーグを戦う者にとって、二十六歳の誕生日を迎えることは、生きながら死を迎えることにひとしい。
そして、それ以外のすべての誕生日は、死に一歩近づく恐ろしい日でしかないのだ。
男性の奨励会員、特に三段リーグを戦う人は、こうした心境で戦っています。年齢制限までに四段になれなければ、子どものころからずっと追いかけてきた夢をあきらめなければいけないので、とにかく必死なのです。
それに対して女性は、だいぶ状況が違います。「奨励会にいる女性は希望すればいつでも女流棋士になれる」という制度があるからです。
言ってみれば女性には「四段になれなければ女流棋士なればいい」という「逃げ場」が用意されているわけです。その気になればいつでも女流棋士という「プロ」になれるのであれば、男性に比べて、三段リーグを抜ける必死さは薄れるでしょう。
そのことが、女性が三段リーグを勝ち抜けない理由になっていると、私は思います。
2. 選択肢が負担になる
つねに選択を迫られている状況は心理的に大きな負担になり、将棋の勝敗にも影響します。奨励会にいる女性、特に三段リーグを戦う女性には、いつでも2つの選択肢が突きつけられています。
- 三段リーグを勝ち抜いて四段を目指す
- 女流棋士になって活躍する
奨励会三段になる実力があれば、いつでも女流棋士として大活躍できるでしょう。
実際、三段リーグを経験した福間香奈さんと西山朋佳さんは、現在は女流棋士として圧倒的な強さを誇っています。長年にわたって、2人で女流タイトルをほぼ独占しつづけています。
奨励会を辞めさえすれば、いきなりトップ女流棋士となり、注目される華やかな舞台で戦えるのです。
プロ棋士になるには、女流棋士になるという誘惑を振り払い続けなければなりません。もちろん奨励会で戦う女性は「プロ棋士になる」という目標を持っており、意志は固いでしょう。
ただ「女流棋士になる」という選択肢はつねに目の前にあり、決して消えません。他人から悪気もなく「女流棋士になる気はないの?」などと聞かれる機会も多いはずです。
女流棋士になるという選択肢に、数え切れないほど「ノー」と言い続けることは、大変なことだと想像できます。
一方で男性の奨励会員には、三段リーグを勝ち抜く以外にプロになる方法はありません。選ぶチャンスがそもそもないため、迷うこともないのです。
女性の奨励会員にだけつねに選択肢があることの負の影響は、あまり注目されません。ですが実はかなり大きな影響があるのではないかと、私は考えています。
3. 男性奨励会員に負い目を感じる
女性奨励会員は「いつでも女流棋士になれる権利」を持っていることで、男性奨励会員に対して負い目を感じる可能性があります。
本人があまり自覚していなかったとしても、負い目は心の奥底にあって、奨励会の対局に悪影響を与えているのではないかと、私は考えています。
男性の奨励会員は、四段になれなれば「生きながら死を迎える」ことになります。三段リーグの対局は文字通り「命がけ」で、いつも独特の悲壮感がただよっているようです。
四段になれる人数は決まっているので、自分がプロ棋士になれば、そのぶん誰かがプロ棋士になれません。その意味で三段リーグは「三段どうしで殺し合いをしている」状況です。
そんな奨励会で、女性の奨励会員には女流棋士という逃げ場が用意されています。すると以下のようなことを考えてしまい、勝負に悪い影響があるのではないでしょうか。
私が勝つことで、男性奨励会員がプロ棋士になるチャンスを奪ってしまっていいのだろうか?
私だけ安全な場所にいて、三段リーグで戦う資格があるのだろうか?
こうした「負い目」が女性がプロ棋士になれない要因になっていると、私は考えています。「負い目」が生じてしまうのも、「女流棋士という選択肢」があるからです。
女性が将棋のプロ棋士になれない他の理由7選
「女性には女流棋士になるという選択肢があるせいで、プロ棋士になれていない」というが私の意見です。この他にも、将棋で女性がプロ棋士になれない理由は、多くの人によってさまざまに語られています。
実際のところ理由はひとつではなく、様々な理由が組み合わさることで「一人も女性のプロ棋士がいない」という現実ができているのでしょう。よく言われる理由を以下に7つ挙げました。
- 競技人口が少ない
- 生理による体調不良
- 周囲からの期待が大きい
- 脳の構造が将棋に向いていない
- 体力がない
- 男性奨励会員からの対抗意識
- 戦いが好きではない
私が賛同できる順に並べてあります。これらについて、順番に紹介していきます。なぜ将棋に女性のプロ棋士がいないのか、あなた自身で考える材料としてご活用ください。
1. 競技人口が少ない
将棋を趣味として楽しむ人は、女性よりも男性の方が圧倒的に多いです。「女性の方が競技人口が圧倒的に少ないのだから、プロ棋士になる人がいなくても不思議ではない」という意見には、私も賛同できます。
将棋をがんばる女性は、周りに同性の友達がほとんどいないせいで孤独を感じてしまい、将棋を続けるのが辛くなるという面もあります。
女性の競技人口が増えて奨励会に入る女性が増えれば、孤独の問題も緩和されるはずです。初の女性プロ棋士の誕生に、つながりやすくなるでしょう。
2. 生理による体調不良
女性は生理の期間、体調が悪くなります。対局日に生理になれば不利になるのはもちろん、普段の将棋の勉強に集中しにくくなるだけでも、悪影響が大きいはずです。
女性のなかでも個人差は大きいですが、生理の影響は無視できないでしょう。
私自身は男性なので、この件について実感を込めて語れません。女流棋士の上田初美さんがこの話題について語っていたので、リンクを貼っておきます。
3. 周囲からの期待が大きい
三段リーグの女性奨励会員は「史上初の女性プロ棋士誕生なるか!」と、世間からの注目を集めます。まったく面識がない大勢の人から、期待をかけられるのです。
世間からの期待や応援は力になると同時に、プレッシャーにもなるでしょう。総合的に見て、対局にはマイナスの影響の方が大きいのではないかと、私は考えています。
4. 脳の構造が将棋に向いていない
男女で脳の構造に違いがあることは、脳科学的に見ても事実のようです。ただし、脳の構造の違いは性別による差よりも、個人差のほうが大きいです。
べつに男性なら全員が将棋が強いわけでも、女性なら全員が将棋が弱いわけでもありません。
だから脳の構造の違いは「女性プロ棋士の割合が少ないことの理由にはなっても、女性プロ棋士が一人もいないことの理由にはならない」と私は考えています。
5. 体力がない
将棋の対局は見た目以上に体力を使うので、女性が不利な要因にはなっていそうです。とはいえ、これも個人差が大きいので、「女性だから体力がない」と言い切れないでしょう。
明らかに女性が不利な「筋力」が、勝敗に直結するわけではありません。「将棋の対局に必要な体力」という点で見れば、女性がどれだけ不利なのか、実際にはよくわからないところです。
6. 男性奨励会員からの対抗意識
男性の奨励会員から「女には負けたくない」と意識されることで、勝ちにくくなる面もあるでしょう。対局に備えて徹底的に対策を立てられたら、多少は勝率に影響しそうです。
そうは言っても、将棋は「対抗意識を燃やせば勝てる」という単純なものでもありません。女性がプロ棋士になれない理由として、そこまで重要な要因ではないと私は考えています。
7. 戦いが好きではない
一般的には男性の方が戦いが好きなので、だから将棋も有利になるのだと主張する人もいます。とはいえ「戦いが好きかどうか」も個人差が大きいです。
「男性より戦いが好きで、将棋というゲームが性格に合っている」という女性だっているでしょう。「女性は戦いが好きではない」は、プロ棋士に女性の割合が少ないことの理由にはなっても、女性のプロ棋士が一人もいないことの理由にはならないと、私は考えています。
まとめ
奨励会の三段リーグを抜けてプロ棋士となった女性は、まだ一人もいません。その最大の理由は「女性には女流棋士になるという選択肢がある」ことだと私は考えています。
他にも色々な理由が言われていて、どれも間違っているとは思いません。さまざまな要因が重なって「女性は一人もプロ棋士になれていない」という現実が生まれているのでしょう。
あなたはどう考えるでしょうか?