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「高校化」する大学は、社会が求める人材を育てられずにいる

 
この記事を書いている人 - WRITER -
梅澤 浩太郎
将棋講師。棋力はアマ四段。 インターネット上で将棋を教われるサイト、将棋マッチを開設・運営しています。 1987年12月生まれ。群馬県在住。 このブログでは自分でイラストを描きつつ情報発信中。叡王戦を支援しています。 将棋を始めたころからずっと、一番好きな棋士は藤井猛九段。 海外旅行が好きで旅行記も書いています。

大学は社会が求める人材を
送り出せていません。

「社会にとって役に立つ人材を供給する」
という大学の役割を
果たせていないのです。

なぜでしょうか?

その答えとして、
大学の教育が「高校化」してしまったことが
最大の原因だと、
私は考えています。

■社会にあふれる未解決の問題

社会はたくさんの問題や課題を抱えています。

そうした問題を、
社会の人々は働いて解決しようとします。

少子高齢化や保育園の待機児童増加など
大きな問題もありますし、
安くておいしいものが食べたいとか
自分のセンスに合う服が欲しい、
といった小さなことも
社会が解決したい課題と言えます。

そして、こうした社会の問題には、
どうすれば解決できるのかという
答えがわからない
ものが多いです。

 

そんな中で、
こうした問題を解決できる人材が
社会には求められています。

そして、そんな人材を育てて
送り出すことこそが、
高等教育機関である大学には
求められているのです。

もし社会が抱える問題に対して
簡単に答えがわかるのであれば、
あとはそれを実行すれば
いいだけなのですから、
別に高度な教育を受けた人材は
必要ありません。

 

ですから、本来大学で養成するべきなのは、
答えのわからない問題の解決に
取り組める人です。

何をするべきかわからない中で
自分のアタマで考えて、
何をするかを決めて行動できる人。

これが社会が求める人材であり、
大学が生み出すべき人なのです。

 

ですが、実際には
大学の教育はそいういう人材を
生み出すようにはできていません。

むしろ、その逆とさえ言えます。

■「高校化」する大学

現在、大学はどんどん
「高校化」しているように見えます。

大学というのは
高校と社会人の中間の時期にあたるわけですが、
大学はどんどん高校の方に
寄って行ってしまっている
のです。

その結果、
大学と社会との間に
大きな溝ができる結果となっています。

 

大学が「高校化」している例として、
講義の成績を付けるための
試験を考えるとわかりやすいです。

昔の大学での試験問題では、
授業では扱わなかった問題が
出題されるのは当たり前でした。

そうした場合、
いくら授業に真面目に出席していても、
それだけではいい点数は取れません。

むしろ、授業にろくに出席していないくても
自分で勝手に勉強している奴の方が
良い点が取れたりします。

つまり、そいういう試験問題を出題することで
学生に自主的に勉強することを
促していたのです。

それによって学生は、
受け身にならずに
自分で何をするべきかを判断して
勉強する姿勢
が身についていきます。

これが、社会が求める
「正解がわからない中で行動できる人材」
を育てることにつながっていたのです。

 

しかし、今の大学の講義の試験は
昔とは一変しています。

試験の問題は必ず
授業の中で解いたものの中から
出題されます。

そうでないと、
「そんなことは授業ではやっていない」
と、学生からクレームが来るのです。

それに、
「真面目に授業に出席している私が、
授業に出てこない人より評価されないのはおかしい」
というクレームも出されます。

大学の先生の評価は
学生からのアンケートによって決まるので、
学生の意見を聞かないわけにはいきません。

 

こうして、授業に出席すると成績に加点され、
授業でやったことさえ勉強しておけば
試験でも良い点が取れる
という状態になります。

これでは、高校と同じです。

■答えのない問いに対応できない

高校の勉強の目的は
多くの場合、
大学受験に合格することです。

そして、大学の入学試験の問題は、
必ず答えがある問題。

どれが正解でどれが不正解か、
はっきりしています。

 

それゆえに
効率よく正解にたどり着くための
方法も確立されており、
あとはそれをたくさん覚えるだけで
大学入試合格というゴールにたどり着けます。

このような状況に対応するために
高校の教育は、
「すでに決まっている正解に
効率よくたどりつく人材」

を育成するようにできています。

 

大学入試に合格するための教育としては、
それで問題ないでしょう。

ただし、こうした教育では
社会が求める人材は育ちません。

「こうすれば良い成績が取れる」という
正解がわかっている状態でのみ
力を発揮することができるという、
本来社会が求めている人材とは
逆の人間が量産されてしまうのです。

 

大学の教育が
「高校化」しているとどうなるか。

社会の問題には、
大学の入試問題と違って
正解が用意されていません。

そのため、学生は大学を卒業して
社会人になったとたんに突然、
正解のない未解決の問題に対応することを
求められる
ことになります。

 

これでは学生にとっても不幸です。

ですから、大学の教育が
高校と同じように
なってしまっているのは困るのです。

■答えがない中で苦しむ時間が必要

答えのない問題の解決策を生み出す力は、
大学入試問題に正解する力のように
効率よく身に着けられるものではありません。

一見するとムダにも思える、
たくさんの試行錯誤の時間が必要になります。

 

答えが見えない中でもがくのは、
苦しい時間です。

けれども、
そうした苦しい時間を過ごしたうえで、
自分が答えだと信じるものを
必死にひねり出す。

そういう体験が学生には必要であり、
大学はそうした機会を提供して
学生の成長を促すべき
なのです。

それが、社会にとって役に立つ人材を
育てるということです。

 

今の「高校化」してしまった大学は、
その役割を果たせていません。

これもまた、
社会にある未解決の問題の
ひとつですね。

 

 

 

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梅澤 浩太郎
将棋講師。棋力はアマ四段。 インターネット上で将棋を教われるサイト、将棋マッチを開設・運営しています。 1987年12月生まれ。群馬県在住。 このブログでは自分でイラストを描きつつ情報発信中。叡王戦を支援しています。 将棋を始めたころからずっと、一番好きな棋士は藤井猛九段。 海外旅行が好きで旅行記も書いています。

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