梅澤浩太郎のブログ。

敵はじつは味方かもしれない~電子書籍か紙の本かの経験から~

 
電子書籍か紙の本かの対立
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梅澤 浩太郎
1987年12月生まれ。群馬県在住。会社を辞めたいけれど辞められない人向けに無料メール講座をはじめました。「将棋マッチ」にて、将棋を教える仕事もしています。

電子書籍か紙の本かの対立

「アイツは自分と違うから敵で、コイツは自分と同じだから味方」なんてことを、私たちは考えがちです。

でも、敵だと思っている人は、本当に敵なのでしょうか。敵ではなく味方だと思った方がいいし、それは可能だというのが今回お伝えしたいことです。この考え方を持っておくことで、人との争いが減って、平和に生きられるようになります。

私がこんなことを考えるようになったのは、「電子書籍が良いか、紙の本が良いか」という議論をしたことがきっかけでした。

電子書籍が良いか、紙の本が良いか

4年ほど前、会社の飲み会でのことです。ふだんあまり話をしない人も多い大規模な会で、片隅のテーブルで私は6人ぐらいで話をしていました。その中で、私は本を読むのが好きだという話をしました。特に電子書籍を読むのが気に入っていて、書店に行かなくてもすぐ買えてすぐ読めるところや場所を取らないところがいい、と強調。すると、周りの人は「それはいいね!」と感心してくれました。そもそも本は読まないけれど自分も電子書籍を読んでみようか、と思ってくれたようでした。

一方で、本が好きな40代の先輩社員(Aさんとします)の反応は違っていました。「電子書籍だと頭に残らない」とか「本の手触りがいいんだ」とか、電子書籍に否定的だったのです。それに私が反論して、それまでなごやかだったその場が、私とAさんが対立している雰囲気になってしまいました。

 

これは私にとっては不本意なことでした。というのも、Aさんは本をたくさん読んで勉強していて知識が豊富で、私は尊敬していたから。むしろ私は、Aさんと「本の読む」共通の趣味について話したいなと思っていたのです。

そのことに私は途中で気づいて、Aさんにこう言いました。「大事なのは紙の本か電子書籍かではなくて、本を読むか読まないかですよね。私たちは読書好きの仲間じゃないですか!」と。これにはAさんも「たしかにそうだな」と納得してくれました。ただ、その後は別の話題に移って、それ以上Aさんと読書について話すことはありませんでした。ちょっと残念な記憶です。

似たものどうしなのに、敵にしてしまう

私とAさんの間では、「本当は似たものどうしなのに、違いを意識しすぎてしまう」ということが起こったように思います。人の趣味というのは色々あります。本以外にもゲームとか音楽とか競馬とか。ありとあらゆる趣味がある中で、「本が好き」という共通点があったら、普通は仲間です。でも、本は本でも「紙の本」と「電子書籍」という違いがあったせいで、「趣味が同じ仲間だ」とは思わず、むしろ「好みが違う敵」だと認識したわけです。

「本が好き」という狭いカテゴリー内での対立。イメージとしては下図のような感じです↓

電子書籍か紙の本かの対立

 

あらためて考えてみると、これと似たようなことは多くあるように思います。味方どうしになれるはずの仲間が、敵になってしまうパターンです。他の例を挙げてみます。

他の例①同じ宗教での宗派間の対立

私の頭に浮かんだのは、同じ宗教内での宗派間の対立です。

まず前提として、「違う宗教どうしで対立する」という場合もあって、この方がわかりやすいかと思います。キリスト教とイスラム教で争うとかですね。これは昔からあって、今でもイスラム原理主義の人々がキリスト教の国に対してテロ攻撃を仕掛ける、という事件はよく起きています。

 

その一方で、同じ宗教の間での対立というのも、歴史的にとても多いです。今でこそ欧米各国はキリスト教という共通基盤の上に仲良くしているように見えますが、ヨーロッパにはひたすら戦争の歴史があります。その戦争の火種のひとつとして、キリスト教の宗派対立もあったのです。代表的なのがカトリックとプロテスタント。お互いを非難して殺し合い、教会を破壊したりといったことを繰り返してきました。

また、イスラム教の中でもスンニ派とシーア派の対立があります。こちらは今でもバチバチとやりあっており、スンニ派の親玉のサウジアラビアとシーア派の親玉のイランは、お互いに仲間を作りながらずっと対立しています。

 

私のような部外者から見ると「同じ宗教なんだから仲良くすればいいのに」と思うのですが、当事者としては「オレたちはアイツらとは違う」とお互いに思っているようです。

他の例②ベジタリアンどうしの対立

また、もうひとつの例として浮かんだのが、ベジタリアンどうしの対立です。

ベジタリアンは漢字で書くと「菜食主義者」です。でも、ひとくちにベジタリアンと言っても、その中には色々な種類があるのです。「乳製品は食べていいか」だとか「タマゴは食べていいか」どうかなどで細かく種類が分かれており、それぞれにヴィーガンやラクトベジタリアンなど、名前が付いています。これも、肉をバクバク食べる人たちからすれば、「あの人たちはベジタリアンだ」とひとくくりにしたくなります。

 

ですが、どうやらベジタリアンの人々は「他の種類のベジタリアンと一緒にしないでくれ!」という意識が強いようです。たとえば、牛乳を含む食品を厳格に避けている人にとってみれば、牛乳を普通に飲んでいるベジタリアンは、自分とはまったく違う存在だと自覚しています。

ただ、違うとは言ってもベジタリアンどうし。肉を食べる人々と比べればに立場は近いと思うのですが、そうは感じないベジタリアンが多いよう。むしろベジタリアンどうしで、お互いを毛嫌いしているように思われます。

同じにすれば争いがなくなるか

違いがあるせいで敵と味方に分かれるのであれば、みんな同じになれば争いはなくなるのでしょうか。

あるマンガでこんな話がありました。中国をモデルにした国が出てきて、周りの国々を征服していきました。「戦争が起こるのは、言語や文化が違うせい。全世界を中国のようにすれば、争いはなくなる」と主張。征服した国々を無理やり中国のようにして、もともとの言語も文化も禁止していきました。

 

でも、私はそうした征服が最後まで実現しても、争いはなくならないと思います。なぜなら、同じようになっても、その中で違いが生まれるからです。たとえば、本土出身か、侵略された国の出身かとか。言葉の方言とか。同じにしようとしても、なんらかの違いは必ず残ります。そして、その違いを強調して、新たな争いが起こることでしょう。

どうがんばっても、違いはなくなりません。なぜなら、同じ人間は一人もいないからです。「違いをなくすことで敵をなくす」というのはどうやってもムリです。

視野を広く持てば敵も味方に

では、争いをなくすにはどうすればいいのでしょうか。私は「視野を広くする」ことが大事だと思います。

敵が敵に見えるのは、狭い範囲しか見えていないからです。「紙の本が好きか」「電子書籍が好きか」ではなく、「本が好きか」「本が好きではないか」で見れば、本が好きな人はみんな仲間になります。同様に視野を広げれば、キリスト教の人、イスラム教の人、ベジタリアンも、その範囲内で仲間です。そして、さらに視野を広げて「人類」「地球」と考えれば、世界中の人がみんな仲間であり、味方となります。

 

結論として、敵か味方かというのは自分のとらえ方しだいであり、最初から決まっているものではありません。
そんなことを、私は飲み会での電子書籍の話をきっかけに考えました。
敵が多いと緊張するし疲れます。なるべく周りを味方ばかりにしながら生きていきたいですね。

 

 

電子書籍については過去にこんな記事も書いているので、合わせてどうぞ↓

 

 

 

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