肉体よりも精神(意識や人格や記憶)が重要という常識は本当か?

肉体よりも精神の方が重要。

そういう意識が
社会的な常識として存在していると
私は感じています。

精神というのは、
人間の意識や人格や記憶と
いったもののことです。

でも、社会的な常識に反して
人間にとって本当に大事なのは
肉体の方なのではないか、
と私は考えています。

人間は肉体と精神(魂)でできている

「人間は何からできている」のか
というのは興味深いテーマで、
昔から多くの人が考えています。

私も色々な理論を見たことがあります。

その中で多いのは、
人間は「肉体」「精神」「魂」の3つで
できている、というものです。

「肉体」と「魂」があって、
「精神」はそれを結びつけるものだとか、
「精神」と「魂」は一体のものだとか、
色々なことが言われています。

ただ、「魂」について話し始めると
とても込み入った話になるので、
ここでは「精神」と「魂」は一体として
考えてみます。

すると、人間は
「肉体」と「精神」の2つから
構成されていることになります。

では、この2つのうちで、
より重要なものはどちらでしょうか?

人間は「肉体」と「精神」の
どちらをメインにして構成されているのか、
という問題です。

常識では「精神」が大事

この問題について、
社会的な常識では「精神」の方がメインであり、
「肉体」より大事
だと考えられています。

例として、脳死を考えてみます。

脳死というのは、
肉体は生きているのに
脳が死んでしまって精神が失われた状態です。

「植物人間」と言われたりもします。

脳死になると、以下のような状態になります。

・意識がない
(話しかけても返事がない)
・人格がない
(その人らしさがなく、誰でも同じ状態)
・記憶がない
(昔のことを何も覚えていない)

意識、人格、記憶は、
いずれも「精神」のこと。

そして、脳死の状態になると、
現代社会ではその人は死んだとみなされます。

「その人をその人たらしめるもの」とは、
「精神」である。

肉体は精神を生かしておくための
「いれもの」に過ぎない

という感覚が
社会で共有されているのです。

SFの世界は精神偏重

現実社会だけでなく、
SFなどの未来を舞台にした作り話の中でも
「精神の方が大事」
という価値観がほとんどです。

むしろ、現実社会よりも
「精神」ばかりを偏重しています。

3つ例を考えてみます。

(1)サイボーグ

肉体を改造することで、
すごい能力を手に入れたり
不老不死になったりします。

ときには、肉体全体を
丸ごと取り替えたりもします。

こんなことが受け入れられる背景にあるのは、

どれだけ「肉体」が変わったとしても
「精神」さえ保たれていれば、
その人はその人に違いない

という考えです。

(2)脳や精神だけの存在

脳だけの存在になって生き延びる。

精神をコンピュータの中に移し替える。

なんて話もよくあります。

こちらでは「肉体」は
ただの「いれもの」であるという考えが、
さらに強調されています。

「精神」さえあれば、
「肉体」が失われても
その人は生きていることになる

という価値観ですね。

(3)クローン人間

人間のクローンを作るというのも
SFの定番です。

たいていの場合、
「精神」がないクローン人間は
人として扱われず、
クローンをいくら殺しても
人は罪悪感を感じませんし、
罪に問われることもありません。

クローン人間がオリジナルの人と
入れ替わろうと画策したりしますが、
人格がオリジナルと違うクローンは、
本物とは明確に区別されます。

その人の「精神」こそが大事なもので、
「肉体」いくらマネしたところで
しょせんクローンは偽物にすぎない、

という考えが一般的なのです。

このように、3つのいずれの例でも
「精神」を「肉体」よりも
重視しているのは明らかです。

そして、SFの架空の世界のことと思っていた
これらの技術は、
今や現実になろうとしています。

SFの世界にある「精神」偏重の価値観は、
これからの私達が生きる
未来の世界の価値観を予言しているように
私には感じられます。

肉体の方が大事なのではないか

現代社会でも未来の社会でも、
「精神」の重要性ばかりが強調されている。

このことに、私は違和感を感じています。

本当に「肉体」はどうでもいいものなのか、
むしろ大事なのは「肉体」の方なのでは、と。

ここで人間以外の他の動物に目を向けてみると、
「精神」にこだわる動物なんていません。

その営みはすべて「肉体」を
生かすためのもののように思えます。

どうやって食べ物を手に入れるか、
どうやって種を次の世代につないでいくか、
動物たちはそのことだけを考えて生きています。

人間は進化の過程で「精神」を身につけただけ

動物は、生き延びるために
それぞれが色々な進化をしています。

ライオンは獲物を捕まえて殺せるように、
鋭いキバやツメを手に入れた。

キリンは高い木の枝にある葉を食べれられるように、
長い首を手に入れた。

私が考えているのは、
人間の「精神」というものは
これと同じなのではないかということです。

つまり、人の「精神」というのは、
「それがあった方が生き延びるのに都合がいいから」
人類が進化の過程で手に入れた

というだけのものに過ぎないのかもしれない。

「精神」は知能の土台とも言えるものですから、
「精神」を獲得したことによって、
人類は色々なことができるようになりました。

石を削った槍を作って狩りをしたり、
言葉を使って仲間とコミュニケーションをとったり、
やがては農耕を始めたり。

こうして「精神」のおかげで、
人間は安定的に食料を
確保できるようになったのです。

「精神」は、生き延びるために使える道具。

そう考えると、人間にとっての「精神」とは、
ライオンにとってのツメやキバ、
キリンにとっての長い首と同じようなもの
ではないかと思えてきます。

あくまで大事なのは「肉体」であって、
「精神」は「肉体」を守るためにあるもの。

これを前提にすると、
サイボーグ化したりして「精神」を
大事にしようとする人間の行動は、
バカらしいことをしているように見えます。

例えるなら、ライオンが死ぬときに、
キバやツメだけは残そうとするようなものです。

最初は「肉体」を生き延びるための
道具に過ぎなかった「精神」が、
その本来の役割を超えて
圧倒的な力を持つようになり、
「肉体」との関係が逆転してしまった。

それが現代の状況に思えます。

社会におけるタブー

ただ、こういう考えは
社会におけるタブーになっている気がします。

「精神」が大事だということにしないと、
もはや現代社会は成り立たないんですね。

仮に、「精神」よりも「肉体」が
大事だということにしたとします。

すると、脳死になっても
死んだとみなすことができなくなります。

極端な話、
手術もしてはいけないことにもなります。

その人をその人たらしめている
大事な「肉体」の一部を切り取る、
そんなことは許されません。

他の人の肉体の一部を取り入れる
臓器移植なんて、もってのほかです。

社会の価値観の土台が揺さぶられると、
今まで当たり前と思っていたことが
どんどん覆ってしまって、
社会に混乱が生じることになるのです。

だからもう、

人間は「精神」が大事であって、
肉体はただの「いれもの」に過ぎない

という認識を
今さら変えることができない
状態になっていると言えます。

今後の社会は、
「精神」をもっともっと大事にする方向に
進んでいくでしょう。

いま流行している
仮想現実(VR)や人工知能(AI)も、
そんな流れの中にあると言えます。

ただ、あまり肉体を軽視していると、
どこかで価値観のバランスが崩れて
おかしな世界になってしまうのではないか

私は懸念しています。

みなさんはどう考えるでしょうか?

この記事を書いた私、梅澤浩太郎は
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